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社会起業家支援の話(前編)

 起業時や起業家支援の話は別のブログで紹介したので、今回は社会起業家支援の時の話です。

 『社会起業家』や『ソーシャルアントレプレナー』という言葉は今では一定の認知がされていますが、これも2003~2004年頃から徐々に言葉として認知がされ始めました。私がはじめのビジネスをスタートしたのが2001年で、その事業を法人化したのが2002年でした。その会社の商号は「ソーシャルベンチャーキャピタルアソシエーション」という商号なのですが、2002年の時点で「ソーシャルベンチャー」という言葉は全く認知がされていませんでした。2001~2002年当時、その前にネットベンチャーが非常に盛り上がり、その反動でITバブルが崩壊していた時代でした。学生を中心とする若者の中で「起業」や「金儲け」が本当に正しいのかという思想が広がりはじめた時であり、そこに対する1つの答えとして『社会起業家』という概念が普及されようとしていた時代でした。

 学生起業家の間にも、目的が“上場”ではなく“社会問題の解決”を志す人が徐々に増え始めていました。そうした人に対して「社会起業家という生き方」は1つの指針となっていきました。しかし、当時はまだ社会起業家の定義が弱く、メディアでもどのように扱っていいかが分からない状況でした。当時、マスコミの方に『最近の学生の動向』を取り上げる際に企画を考えていたこともあり、社会起業家の話をしたこともありました。NHKや日経の記者の方に社会起業家という概念について説明をしました。当時は国内では社会起業家といっても概念的なところしか伝わらず、「企業でもなく、NPO/NGOでもない法人」とか「社会にとっていいことをしようとしている企業」のような説明しかすることが出来ませんでした。ただ、こうした説明をしても「企業は社会にとって貢献しているから、利益が上がる。だから、そんなことを言ったら全ての企業が社会起業家になる」というようなことを言われたり、中々社会起業家について説明をしても理解を得ることが出来ませんでした。

 そこで2つのことをチャレンジしました。

 1つ目が海外の事例を知り、海外のベストケースを導入することです。当時、ソーシャルベンチャーパートナーズという世界中に拠点を持つ社会起業家支援団体がありました。この年次総会がミネアポリスで開催されることを知り、ミネアポリスにまで行きました。今でこそ日本における社会起業家の権威となった井上英之さんとETIC.の番野さんと一緒にこの年次総会に参加をしたのですが、世界中から300人以上が集まり、様々な社会的課題を事業を通じて行っていることを知り、非常に強い刺激を受けました。ソーシャルベンチャーパートナーズはコンサルタント、会計士、投資家などが自分の専門性を活用し、お金だけでなく時間を使って社会起業家の支援を行う有志団体です。自らが『お金と口』だけでなく、『時間とノウハウ』を提供することで、より自分事として社会起業家の支援を行えることが特徴的です。この形態は非常に日本でも支持されると感じ、翌年に井上さんらを中心としてソーシャルベンチャーパートナーズ東京ベイという団体を立ち上げました。初期から30名以上のコンサルタント、会計士、投資家が集い、いくつもの社会起業家の支援を行うようになりました。

 2つ目が実際の社会起業家のモデルを創ることでした。『社会起業家』といっても概念では分かるものの、じゃあ実際に社会貢献をしている会社と何が違うのかが極めて分かりにくく、その分評価がされにくいという実態がありました。それなら、「この人が社会起業家です」と言えるようなロールモデルを創ろうと思いつきました。一緒に動いたのが、この方も今では社会起業家支援に限らず社会問題解決のプロフェッショナルとなっている藤沢烈さんでした。藤沢烈さんは学生団体支援の頃から親しくしており、まさに烈さん自身が社会起業家を支援することに軸足をずらしているところでした。当時、烈さんはマッキンゼーに在籍していましたが、週末や夜などに時間を作ってもらい社会起業家の支援を行うようになりました。その中で特に成功した事例がNPO法人かものはしプロジェクトという団体です。当時、烈さんと新宿にあったランザンという喫茶店でよく打ち合わせをしていました。このランザンという喫茶店は当時の起業家やNPO関係者が多く集まっていた場所です。10人位で集まって打ち合わせが出来る喫茶店として非常に使い勝手がいい場所でした。
社会起業家に興味がある学生に集まってもらったところ、村田早耶香さんと本木恵介さん、青木健太さん達が参加しました。

 当時、村田さんと本木さん/青木さんは別の活動をしており、村田さんは東南アジアで児童の売春が日常的に行われていることについて非常に強い問題意識をもっており、これを何とか変えていきたいと考えていました。政府に対してこの問題を認識してもらうため、国会でプラカードをもって運動をしようとしていました。藤沢さんがそれだけだと課題は解決しないという話をして、結果的には村田さんと本木さん・青木さんが同じ団体を一緒に行うことになり、カンボジアの児童売春を事業を通じて解決するということになりました。その後のかものはしプロジェクトの活動は多くの人が知っているかもしれませんが、カンボジアで児童売春から救助した女性にITトレーニングを行い、日本からITの仕事を提供したり、職業訓練を行い子供を売らなくても生活できるような環境をつくったり、特に大きかったのは現地政府やNGOと組んで売春を行う犯罪組織の摘発強化をするなどの取組みの結果として、カンボジアにおける児童売春は劇的に減りました。かものはしプロジェクトは国内でも数多くの表彰を受け、社会起業家の象徴の1つとなりました。

 こうしたロールモデルが出来ていくことにより、日本でも社会起業家に対する認知が広がっていき、今では社会起業家とは何かを説明しなくても、その存在が認知されるようになってきました。

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