頑張る人の物語

藤野良太

『藤野良太との出会い』5/5編

■『ピースカップ開催』

 サッカー大会の方も順調だった。どうやらアフガニスタン初のトーナメント大会だったようだ。鈴木が事前に現地入りした際に共同通信の安井に提案された。「サッカー大会もやったらどうか」と。鈴木はそれを『ピースカップ』と名づけ、開催する事とした。現地のクラブチームは 14 チームある。平日は仕事をし、土日に練習をするそうだ。藤野達が現地入りする日に決勝戦をということで、予選は既に開催されていた。 6 月 19 日、ピースカップの決勝戦が以前は処刑場となっていたオリンピックスタジアムで開催された。5000 人位が観戦にきていた。決勝戦はジャワナラマイハーンとカブールクラブの試合だった。結果はカブールクラブが1-0での勝利だった。会場は盛り上がり、優勝チームにトロフィーが贈られた。折角だから子供たちにも大会を開こうというアイディアはすぐに思いついた。普段、オリンピックスタジアムは軍人が見張っていて子供は入れない。これを開放してあげるだけでも価値はあった。翌 20 日、子供のためのサッカー大会が開催された。藤野がボールを届けつつ、この大会の告知をしていた。当日は男女あわせて 600 人位が駆けつけた。

 ラジーという男の子がいる。 4 歳で父親は軍人をやっている。父が軍人なので特別にオリンピックスタジアムに彼は入ることができた。藤野達がピースカップ決勝の前に練習をしていると興味を持ってみつめてきた。一緒にやろうと誘うと、喜んで参加してきた。それから毎日、ラジーはスタジアムで藤野達と遊んだ。サッカーが大好きとのことだ。非常に愛らしい。藤野はこの子に伊藤由江のボールを渡す事にした。後ろでは軍人が藤野とラジーが遊ぶ様子をみて楽しそうに笑っていた。

 話はそれるが、鈴木が 4 月にアフガニスタン入りをした際に現地の子供たちに「W杯をみたことはあるか?」と尋ねたら、彼らは「あるよ」と答えた。意外に思い、聞いてみるとアメリカ軍がカブールを解放した際に地元チームと米軍チームとでの試合をしたとのことだ。この事を子供たちはW杯と思っていたようであり、それを聞いた時藤野は何も知らないんだなと笑ってしまった。しかし、実際に現地の子供たちがサッカーを楽しんでいる様子をみて、この事を反省した。W杯は一つではないのではないか。W杯自体に価値があるのではなく、それをみて喜ぶ事に価値がある。一人一人にそれぞれのW杯があり、アフガニスタンの子供たちが他国の選手とのサッカーの試合をみて、それをW杯と思うのであればそれはそれでいいのではないか。サッカーを通じて世界を感じられる。それだけでいいのではないか。そう考えたのだ。いずれにせよ、スタジアムは熱気に包まれた。皆が我先にとプレーをしたがった。みな、ボールを蹴りたくてしょうがないのだ。グラウンドを駆け回りたくてしょうがないのだ。女の子達も楽しそうにスタジアムを駆け回っていた。会場は大混乱となったが、それでも皆が楽しそうだった。藤野達は予定していた活動を全て達成した。来る前は不安でもあった。本当に出来るのか、出来たとしても本当に喜んでもらえるのか。結果は明らかだった。目の前の笑顔、耳に入ってくる歓声。アフガンプロジェクトは大成功だった。

■『写真の地へ』

 アフガニスタンではハイリハナへも行った。ハイリハナといって覚えている方はどれだけいるだろうか?そう、藤野が感銘を受けたあの写真の場所だ。カブールから車で 30 分位かかる所にハイリハナはある。車の中、あの 6 人の子供たちはいるのかな、実際にどういうところなんだろう。様々な考えが脳裏をよぎった。ハイリハナに着いた時、時間は夕方だった。丁度、写真が撮影されたのと同じ位の時刻だった。多くの子供たちがそこで遊んでいた。藤野の方にもよってきたが、藤野は一人感慨に浸っていた。自分を誉めたかった。ここに立っていること、これは自分に対するご褒美だと藤野は感じていた。同行していた誰かが「どんな気持ちか?」と尋ねた。「いや、、、言葉が出てこないですね」正直な気持ちだった。
長倉も同行してくれた。長倉は藤野を入れて、ハイリハナの景色を撮った。あの景色に今は自分が入っている。不思議な感覚だった。

■『“お前の夢は何だ?”』

 また、帰国後 2 日前にローズベと車の中で運転手を除いて二人きりになる時があった。ローズベは本当によくしてくれた。性格はお茶目である。常に場を明るくしてくれる。しかし、本当によく働いた。朝は一番に起き、藤野達を起した。夜も一番遅くまで仕事をしてくれた。現地で通訳にあたったのもローズベだった。色々と現地の人と意見が対立する事もあった。そうした言葉は全てローズベに浴びせられ、それを双方に伝えていくことになった。相当プレッシャーにもなったことだろう。ローズベと藤野は喧嘩もしたし、一緒になって笑いもした。サッカーボールを小学校に届けにいく時はいつも一緒だった。藤野はいつも明るいローズベを心から信頼していた。そんなローズベが真面目な顔をして藤野に問いかけた。「リョータ、アフガニスタンの将来はどうなると思う?」 突然の質問、そしてローズベの真剣なまなざしに驚いた。藤野は答えられなかった。

 「じゃあ、お前の夢は何だ?」この質問にも藤野は困った。日本ではあまりこういう会話はしない。ストレートに夢は何だと聞かれたのは初めてだった。また正面きって自問したこともなかった。 10 分間考えた。「ごめん、答えられないや」申し訳なさそうに答えつつ、藤野は問いかけた。「じゃあ、ローズベは?」 一瞬下を向き、ローズベは答えた。“ Peace”

 今まで、夢は何かと聞かれると「大金持ちになりたい」とか「サッカー選手になりたい」という個人に関する夢を考えていた。しかし、ローズベは国の事を考えていた。また、藤野はアフガニスタンがロシアの占領後、すぐに内戦を始めたことを理由にこの国の人達は戦争好きなのではないかともどこか考えていた。戦争が嫌なら止めればいい。対話をすればいいじゃないか。そう思っていた。しかし、これはあまりに軽率だった。長倉も同様の体験をしたとのことだった。

 ある日、戦車が通り過ぎると一人の子供が「あ、戦車だ」と声をあげた。日本ではチャンバラなどを子供たちが楽しそうにやっている。その感覚で、長倉は子供に聞いた。「君は戦争が好きなの?」
子供は長倉を憐れむような顔をして言った。「おじさん、戦争では人が死ぬんだよ?」藤野も今、同じ思いをしていた。実際に戦争で一番苦しむのは現地の人達だ。家族を失い、住んでいた所を失う。彼らは戦争を望んでいない。しかし、だからといってどうすればいいのかなんて分からないのだ。様々な考えが藤野の頭を駆け巡った。そして、ローズベを見た。彼はじっと藤野の顔を見つめていた。ローズベが言った peace という言葉は今でも藤野の頭を離れない。それは、多くのアフガニスタンの人達が夢として持ち続けてきたことなのだろう。

■『最後にやるべきこと』

 帰国の日がやってきた。ローズベは空港まで送ってくれた。今にも泣きそうな表情で、最後まで見送ってくれた。「また会おう」言いながら、寂しさがこみ上げてきた。しかし、同時に達成感もあった。
しばらくぶりに安心感を得たのは成田空港に着いた時だった。多くの人が迎えに来てくれ、一段落着く事ができた。しかし、アフガンプロジェクトはまだ終わっていなかった。カブール市内でパラボナアンテナを設置し、W杯を生中継することができた。サッカーボールを届けることはできた。サッカー大会の開催は出来た。当初、企画書にあった内容は全て達成されていた。

 だが、一つ藤野がやらなくてはいけないことがあった。それは、『伝えること』だった。アフガニスタンの事を日本の人に報告する必要があった。サッカーボールや資金を提供してくれた人、そして 4 月 5 月に藤野達に対して、「もっとやるべきことがあるのではないか」と問いただした人達に対して、藤野達の活動を、現地の人達の笑顔を報告する必要があった。
3週間かかり、九州から北海道まで藤野達は回った。一番最後、藤野達は北海道の庄内を訪れた。最後にサッカーボールを送ってくれた伊藤由江の学校がそこにあった。全校生徒と地元の人が報告会を聞きに来た。皆、嬉しそうだった。

そして、この報告会を終えて、アフガンプロジェクトは活動の幕を下ろすのだった。

ブログカテゴリー

アーカイブ
PAGE TOP