頑張る人の物語

船橋力

『 船橋力との出会い 』1/5編

船橋力(ふなばしちから)
株式会社ウィル・シード 代表取締役
『教育を通じてよりよい社会を』というコンセプトのもと、若手ビジネスパーソンおよび小・中・高校生に対して体感型教育を実施するウィル・シードの創設者・同代表取締役。同社の高い事業成長および企業理念は多くの方から支持を受け、2003年にダボス会議が認定するニューアジアンリーダーズに任命。また、構造改革の特区評議委員にも任命される。
→URL http://www.willseed.co.jp

■やりたいなら自分でやれ!

「あんた、そんなにしたいんなら自分でやったらいいじゃない!!」

『やりたいこと』を持っていたとしても、それをやりぬける人はそこまでいない。そういう人は大きく2つのパターンに分けられる。一つめは、“やりたい”と思ったことが実はそこまでやりたくない場合。二つめは、今の環境のせいでなかなかやりぬくことが出来ない場合。前者の場合は仕方がない。それが本当にやりたいことではないのだから、無理をしてやろうとしても結局大したことは出来ない。しかし、後者の場合はほんのしたきっかけ、少しの決意で『やりたいこと』をやりぬけるようになることが多いような気がする。

 冒頭の言葉、それが船橋力にとっては『やりたいこと』をやりぬくきっかけとなり、彼が設立したウィル・シードという教育研修企業がわずか3年にして170社以上の企業そして100クラス以上の小中学校を“教育”させるに至ったきっかけとなった。

■教育を通じてよりよい世の中に

 これが船橋の『やりたいこと』であり、ウィル・シードの理念だ。ウィル・シードは研修企業だ。大きくは企業内人財研修と小・中学校をメインとした学校教育事業を手がけており、トレーディングゲームという教育研修プログラムを主力の商品としている。

 トレーディングゲームとは、もともとイギリスのNGOが南北問題を身をもって学べるように開発した体験型ゲームで、これを船橋が応用して人材教育にも活用できるようアレンジした。参加者はアメリカ、インド、中国、日本といった国名からなるチームを編成し、予め与えられた資源や道具そして人員を活用して製品を生産し、他チームとアライアンスなどを組みながら最終的に売上げ1位を目指す。

このゲームに勝つには様々な要素が要求される。斬新な発想力、行動力、他人とのコミュニケーション、ビジネスの仕組みの理解など、普段の生活、ビジネスをする上での必要な多くの要素が勝利するために求められている。このゲームを通じて参加者は自らの強みや弱みに気づき、他人との協調性の必要性に気づき、社会の構造に気づく。多くの“気づき”を与えていき、人に成長の必要性を感じさせる疑似体験をさせてくれるゲームだ。実際に多くの人がこのトレーディングゲームを通じて気づきを得て、日常の仕事や生活に活かしている。わずか3年で大手企業を中心に170社以上にこのトレーディングゲームが導入されてきたということからもその効果が分かる。

 社会的な理念を提唱するだけではなく、実際に事業としても素晴らしい成果を挙げているこの会社は、多くの教育関係者からも高い評価を得ている。また船橋を評価するのは教育関係者だけにとどまらず船橋は2003年に世界経済フォーラムより『ニューアジアンリーダーズ』に選ばれた。世界経済フォーラムとは世界中の経済界・政界のキーパーソンが集まる会議であり、ここから日本では6人しかいないニューアジアンリーダーズに選ばれるということは非常に名誉あることだ。

船橋は「教育を通じて世の中をよりよくしよう」としている。そして、そのことに対して多くの人から共感を得て、高い外部的評価を得ている。だが、『教育』という言葉も『よりよい世の中』という言葉もすこし曖昧だ。これらの言葉をもう少し分かりやすい言葉で語るためにも、船橋が送ってきた半生を振り返ってみたい。

■他人を“知ること”こそが幸せへの第1歩

 船橋が理想とする世の中とは、“世の中の人全員が幸せになれる”状態だ。彼の定義する『幸せ』とは嬉しいことや楽しいことが溢れかえっている状態ではなく、辛いことや苦しいことなどが最低限取り除かれた状態を指している。貧しいことは決して不幸なことではない。障害を持っていることは決して不幸なことではない。

子供の頃に様々な国を旅して、様々な環境に住んだ船橋はこのことを実感していた。しかし、人は人を不幸にすることができる。意識的であれ無意識的あれ、人は貧しいと不幸と思ってしまい、それに該当する人を不幸な人というレッテルを貼ってしまう。そして、そのレッテルを貼られたことに気づいた人は自分を不幸と思ってしまう。こうしたことにより人はより多くの幸せでない人を作りだしてしまう。

 こうした問題を解決する最大の方法は『知ること』だと船橋は考えている。このような事が生じてしまう理由は、色々な生き方があること、色々な価値観があること、色々な楽しみ方があることを人がただ知らないからではないか。偏見や差別を持ってしまうのも、ただ悪意が最初からあるのではなく、単純に相手のことを知らずに自らの価値基準だけで全ての物事を見ようとしてしまうからなのではないか。

人にはそれぞれどうしようもないことはある。それは一つの個性であると認めていければこうした偏見は無くなっていくのではないか。そう船橋は考えた。そして、様々な考え方や価値観がある事を多くの人に伝えていきたいという思い。それが船橋の中でいつしか教育という言葉で理解され、「教育を通じてよりよい世の中を」つくりあげていきたいと思うようになった。

■厳しい家庭内教育

 このような考えを持つようになった青年は、二人の姉と一人の兄を持つ4人兄弟の末っ子として、優しい母親と厳格な父親の間で育った。船橋の父親は大手商社の役員をしており、船橋が子供の頃から世界各国を飛び回っていた。父は船橋に対して厳しいしつけと様々な世界を見せることで成長を促していった。

 家がカトリックであったせいもあったのかもしれない、だがその理由だけでは済まされない程に幼い頃の船橋は『倫理観と自立』に関して徹底したしつけを受けた。特に金銭面と意思決定に関しての父親の教え厳しかった。金銭的にだらしなくならないことと自分のことは自分で決めること、これを子供の頃から船橋は要求されていた。たとえば、子供の頃に10円安い牛乳を1時間かけて歩く所に買いに行かされることもしょっちゅうあった。また、小遣いもほとんど貰えなかったし、高校受験の時も第1志望の学校しか受けさせず、それ以外の高校に入った場合学費は払わないといわれた。進路なども特に親がこうしろと言うことも無かった。全ての意思決定は船橋自身に委ねらていた。

 もちろん、父親は日本有数の大手商社の役員なので裕福なはずだった。しかし、船橋の父は世の中には色々な人がいるということを伝えるためか、子供にも自立を求め、自らの人生を自らで決めさせていた。そして、自分が決めたルールについては父親自らも厳守し、自ら『倫理観と自立』を守る人間を保っていた。

■アルゼンチンでの生活

 こうして子供に厳しく接した父は息子を様々な国へも連れていった。3歳から7歳の間、父親の出張の関係で船橋はアルゼンチンに住むことになった。周りに日本人はいたが、父はなるべく現地の人たちと接するよう船橋に求めた。

当時、中国の人と間違われて「チナ、チナ」と現地の人たちにからかわれる日が続いた。しかし、そんな船橋はすぐに現地でたくましく馴染んでいった。船橋は野球が得意だった。最初はからかっていた現地の人たちも船橋が野球が上手いことが分かると船橋をチームに誘うようになった。アルゼンチンの人達は一つでも何か長所があるとそれを認めた。最初、彼らは船橋のことを知らなかった。日本のことを知らなかった。しかし、一度その良い所を知るとそれを認め、その個性を尊重した。こういう環境が船橋は気に入った。

 こうして、現地での生活にすっかり馴染んでいたある日、一つの事件が起きた。―――家に爆弾がしかけられたのだ。

アルゼンチンの治安は当時悪かったこともあり、それまではガードマンを雇っていた。しかし、そのガードマンとの契約を解除した翌日に一家は狙われた。ガラスが家中散乱し、風呂場から流れ出た水で床は水浸しになった。幸い家族に怪我は無かったが、子供の船橋に与えた精神的影響は大きかった。後から聞いた話では、ガードマンが契約解除の腹いせにテロリスト達と組んでやったという説もあった。この事件を通じて船橋はまた様々な考えがこの世にはあるということを知った。

 このような事件があったので、さすがの父親も家族に日本に帰るよう言った。丁度、現地で小学校に通い始めて2,3週間経っていたが、船橋は日本に帰り日本の小学校へと通うことになった。

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