頑張る人の物語

船橋力

『 船橋力との出会い 』3/5編

■自分はクズ

 「優しくて友達としてはいいんだけど、男性としての魅力が無い。何か深さが無いのよ」

 言い返すことができなかった。全てが図星だと思った。それまでの船橋は自分が無かった。親の意見に抵抗をしつつもいつしかその意見に染まっていた。様々な価値観に触れつつもその中に自分の価値観が無かった。“自分の軸”が無かったのだ。『自分は何なのか』。哲学や心理学、歴史の本などを読みあさって船橋は考えるようになった。そして、そうして悩んでいた船橋にさらなるショックが重なった。それは部活で生じた問題だった。

 船橋はアメフト部の副主将を務めていた。もともと、このアメフト部は封建的な部であり、年功序列が厳しく残っていた。こうした事が気に入らなかった船橋は多くの部の決まりごとを変えていった。たとえば、4年生がグラウンドの掃除をするように変えるなど、目的の見えない年功序列制度を崩す新しい規則を作っていった。しかし、船橋が変えることが出来なかった規則が一つだけあった。それは、

 『怪我人はクズ』という文化だった。当時のアメフト部で怪我をして練習にも試合にも出られなくなることは忌み嫌われていた。常に体調管理をして怪我をしないように意識を高めておく。この意識の高まりがアメフト部を勝利に導くと考えられていた。しかし、船橋は4年の10月に怪我をしてしまった。

v■世界放浪の旅

  副主将であること、それは何の関係もなかった。他の部員は船橋の意見を聞かなくなっていった。それがグラウンドの上でというならまだ分かる。しかし、それは私生活の面においても共通したことだった。

 副主将であるのにも関わらず、その後船橋は部活での発言権が与えられなくなっていった。今まで封建的体制を崩そうとしてきた船橋に主将をはじめとする幹部が対立をしてきた。「下級性に厳しくすると、部全体のモチベーションが下がるだろ?」

 船橋がこのように言っても、 「それってどうやって測るわけ?」「ただのお前の思い込みなんじゃないの?証明してみろよ」厳しい意見が向けられた。自分自身が当たり前と思っていたことに答えることができなかった。そして、さらに船橋を悲しませたことに、今までずっと船橋に従ってきた同期40人のほとんどが相手側に回った。

 「人はほとんどが自分の意見を持っていない」そう船橋は思った。しかし、それは自分としても同じことだったのかもしれない。船橋も自分が確立していなかった。親の影響をいつしか受けて育ってしまった自分。そこに悩まされていた。相手を説得し切れなかったこと。それも自分に自信が無かったからだろう。部活のような組織は家族のようなものだ。親の喧嘩は子供に伝わる。4年生の喧嘩もすぐに下級生に伝わる。シーズン中に部の雰囲気を下げることはしてはいけないと判断した船橋は相手にこの場は譲ることにした。

 『この場は譲る』という表現で言うと美しいが、負けだった。相手に対して負けたことが悔しかったのではない。自分の弱さに悔しさがこみ上げてきた。本を読むだけではどうすればいいのかが分からなかった。船橋は思った。もっと、多くの考え方を知りたい。価値観を知りたい。世界を知りたい。そうすれば何か答えが見つかるのではないか。そう考えていた。

 幸いにして機会はあった。姉がフィリピンのNGOでボランティアをしていたのだ。そうした姉と共に数人で船橋は世界1周の旅に出た。ブラジルでもスラムを見て回った船橋であったが、この世界1周ではもっと様々な地域を見て回った。飢餓に苦しむ子供達と交流をしたり、アフリカの奥地にも行った。様々な人と出会い、様々な考え方を知った。そして、この旅を通じて船橋はあることを確信した。

それは、『日本の常識は世界の常識ではないこと』。本当に様々な価値観が世の中にあることを船橋は感じた。そして、このような事を知らないで一つの価値観・常識で物事を見ようとする日本人の意識改革をしていきたい。そう強く思うようになった。

■社会人としての経験

 こうした船橋が伊藤忠商事に入社したことは偶然ではなかったのかもしれない。伊藤忠のような大手商社であれば、様々な国を見て回ることができる。

就職が決まるのは4年の春なので、まだ船橋は一人の迷える大学生に過ぎないときだった。しかし、世界1周をしてやはり日本だけでなくもっと他の国に関わる仕事をしていきたいと思い、特に社会貢献のためのインフラ整備をしたいと考えていた船橋にとって、伊藤忠のインフラプロジェクトチームに配属されたことは渡りに船だった。そして、入社後の初仕事は偶然にも世界1周のスタートとなったフィリピンのゼブ島空港の建築プロジェクトだった。

 最初はやりがいがあった。巨大な金額が動くプロジェクトに自ら関わることができ、実際に発展途上国のインフラを整備していくことで、自分にとって様々な価値観を与えてくれた途上国に対して貢献ができているという思いがあった。しかし、すぐにそのやりがいも弱くなっていった。

 商社は途上国を救いたいと思って仕事をしている訳ではなかった。上司や同世代の社員との話が合わないことがあった。

 「もっと地元の人達のためになることができればいいですよね。」と船橋が言っても、「そんなこと考えているならもっと働け!」「なあ、船橋。俺たちはボランティアではないだろ?」

 細かい所が一つ一つ気になるようになった。日本で10億円で仕入れた商材が現地政府にその数倍の値段で売却されていることもあった。こうしたことに疑問を覚え、そして自らがそうした環境に身を流され、染まってしまうのが嫌だった。会社の中で船橋が求められることと自分の思いが噛みあわず、葛藤の中に一人苦しんだ。そして、そうした葛藤を続けていると生産性が落ち、上司にそれを指摘される自分も情けなくて嫌だった。

 入社後、1年半して船橋は開き直った。「少し位、流れされてみるのもいいか」

 仕事で分からないことがあれば、積極的に先輩に質問するようになり、残業も人一倍するようになった。また、徐々に大きな仕事を任されるようになり自らが作成したレポートが上司を経由してインドネシアの大統領にそのまま読まれるような経験までできるようになった。

■何かしたい

 仕事が楽しくなってきた。しかし、同時に焦りも感じていた。

 「こんな大きいプロジェクトは完成までに10年以上かかってしまう・・・。また、本当に直接現地の人に影響を与えることができているのだろうか。そもそも、これっていうのは自分にしかできないことだろうか?」様々な疑問が再び船橋に襲いかかってきた。一度は流されてみようという判断をした。しかし、今度は何か抵抗してみようと思い立った。1人では考えるだけに終わってしまうかもしれない思い、まずは友人に連絡をした。そして、2週間に1回のペースでその友達と打合せを行うことにし、今感じている問題意識について話し合うことだけは決めた。

 「何かしたい」

 しかし、何をすればいいのかは分からない。キーワードだけは見えていた。『意識改革』ができ、『真面目さと楽しさの壁を取り除く』『広がっていく組織』を作っていきたいということは初めから決まっていた。要は船橋が大学時代、周りの友達に対して感じたこと、そして部活内での抗争時に感じたこと、そして軸が定まっていなかった自分に対して感じた問題意識を解決するためには、世界には様々な価値観があることを多くの人に知ってもらいたい。

そして、それは真面目にやるだけでは駄目だった。ブラジルでは真面目な話もふざけた話も皆が同じように話をする。しかし、日本では真面目な事は真面目な人しか話さない。なるべく入り口は楽しいことをしていきたい。そして、いつの間にか真面目なことも伝えていきたい。そういう『何か』をしたかった。

 しかし、その『何か』が何であるのかは考えても見つからなかった。問題意識を抱えたまま船橋と友人は悩み続け、そして仕事へと戻っていった

■トレーディングゲームとの出会い

 そんなある日のことだった。船橋は一緒に世界1周をした余語という神父から連絡を貰った。

たまたま姉と知り合いであった余語は世界1周の過程で船橋に様々なことを教えてくれた。それは世界にちりばめられた知識であり、歴史にうずもれていた知識だった。世界1周後も定期的に連絡をとっていたが、ある日この余語から連絡が来た。

 「今度、留学生を集めて面白いゲームをやるから来ませんか?」余語は定期的に留学生を集めてイベントをやっていた。どうやら南北問題をゲームを通じて考えていくというものらしい。会社の仕事が忙しく、できれば週末はゆっくりしていたいと思いつつも、世界1周を共にした余語からの折角の誘いだったこともあり船橋はこのゲームに参加することにした。

 船橋が着くと既に暗い教室に20人位が集まっていた。韓国人、インド人、日本人。学生、社会人分け隔てなく集まっていた。余語がゲームのルールを説明し始めた。

 「みなさん、それぞれの国別にチームを組んでください。そして、それぞれの国に用意してある資源や道具を使って、製品を作ってください。ゲーム中は何をやっても構いません。ゲーム終了時点で製品を売って、一番売上げが多いチームが勝ちです」これがトレーディングゲームと船橋との出会いだった。ゲームが終了し、余語が解説をしている間中、船橋は震えが止まらなかった。

 このゲームでは予め各国に与えられた条件は違った。資源、道具そして人員も違う。ルールは最低限のルール以外は特に無い。自分の国だけ資源を独占しようとすると、他国から嫌われてその後交渉ができなくなる・・・。全てが現実の世界で起きていることだった。特に予め与えられている条件が違うということは現実の南北問題を象徴していた。麻雀でもポーカーでも将棋でも人生ゲームでも、大抵のゲームではプレイヤーは同じ条件でスタートする。しかし、このゲームでは違った。だが、工夫の仕様によっては一番条件が悪い国でも一位になることができた。

 船橋はこのゲームにショックを受けた。南北問題に関心はあったが、ここまで全体的な構造を把握はしていなかった。そして、何よりもこうした真面目な問題についてこのような疑似体験を通じて伝えていくという方法があることに驚きを感じた。

 「こういう形だ!まさしくこれだ!!」 船橋は興奮していた。南北問題についてもそう、世の中に様々な価値観があることを伝えていくことに関してもそう、楽しみながら伝えていくことについてもそう。このゲームには世の中で起きていることが全て凝縮されていた。

そして、このゲームを通じて自分の強み・弱みが分かってきた。発想力が無いことが分かったり、行動力が無いことが分かったり。また他人とのコミュニケーションの必要性などについても理解ができた。自分を知り、他人を知り、社会を知る。そうしたエッセンスが全て凝縮されていたゲームだった。船橋は考えてみた。自分がやりたいことは何だったかと、そして、そのために何をすればよいのかということを。

 世の中の全員を幸せにしたい。幸せというのは裕福とか自己実現が出来ている状態ではなく、船橋にとっての幸せとは苦しんだり悲しんだりする人がいない状態だ。多くの人はこの世界に様々な価値観、様々な考え方があることを知らない。そして、自分が弱者と思う人に対してレッテルを貼ってしまい、レッテルを貼られた事に気づいた人は自らが不幸と思ってしまう。しかし、貧しくても不幸せとは限らない。障害を持っていても不幸せとは限らない。それは、船橋が子供の頃に見て感じてきたことだった。

 大事なことは『知ること』。この世の中に自分とは違う価値観があり、自分とは違う視点があることを。そして、その違いを個性として認めてあげることが大事だと感じていた。

そして、船橋は感じるようになっていた。『知る』ためには『知りたい』と思わなければならない。伝えたいのであれば知りたいと思わせる体験をさせる必要があった。楽しいから知りたくなると思わせる必要があった。それが何なのか。今までの船橋には分からなかった。問題と解の方向性は見えていても具体的に何をすればいいのかが船橋には分かっていなかった。しかし、その答えを今自分は経験してしまった。

 トレーディングゲーム。ゲームを通じての疑似体験。

これが船橋が出会った答えだった。実際にゲームを通じて自分の事が分かった。そして、何を改善していけばいいのかも分かった。他人との協業により、それぞれの得意分野を活かしていくことでより高い目標を到達できることも分かった。他人との違いを個性として受け止められていた。そして、社会全体の構造が分かった。自分と他人、そして社会。この3要素がこのゲームには詰められており、かつ、それを楽しみながら学ぶことができた

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