頑張る人の物語

船橋力

『 船橋力との出会い 』4/5編

■LPCの設立

 船橋はまずこのトレーディングゲームにて浮き彫りになった自らの課題を解決するように普段の仕事の中で努力をしてみた。実際に自らの強み・弱みが明らかになると通常の仕事もより効率的に出来るようになった。

船橋はこのゲームについてさらに詳しく知ろうと思った。月1回、余語の所でトレーディングゲームを開催し、船橋はそのファシリテーターを努めた。ゲームの説明をしていく過程で、このゲームのポイントを理解するようになっていった。自分が会社の業務に埋もれていくことに焦りを覚えていた他の仲間とも話し合った。今までは2週間に1回、飲みながら打合せをしていたが何も進まなかった。しかし、船橋がトレーディングゲームの事を話すと仲間はそれに興味を示した。

 『意識改革』を目的とし、『真面目さと楽しさの壁を取り払い』『広がる組織』を目指していた彼らにはトレーディングゲームは絶好のコンテンツだった。船橋達は96年12月に団体名をLPCとし、メンバーにより多くの価値観・視野を身につけていけるようなイベントを開催していく団体を立ち上げた。

 この団体の運営に関して、船橋達は一切焦らなかった。普段、政治や環境そして社会のことに興味が無い人達にそうした方面への興味も持ってもらいたかった。でも、真面目な勉強会をやりますといっても人は来ない。トレーディングゲームをやりますといっても恐らく来ないだろう。敷居は低く。まずは多くの人が気楽に参加できるように。そう考えた船橋達はまずはスキーツアーを組んだ。LPCは月1回のペースでイベントを開催していった。スキーツアー、トレーディングゲーム、スキーツアー、花見、トレーディングゲーム、ダンスパーティ、トレーディングゲーム、海水浴、トレーディングゲーム・・・ このように、遊び要素を入れたイベントとトレーディングゲームを代わる代わる開催していった。そして、遊びイベントに参加した人達を次のトレーディングゲームに誘い、遊びイベントには参加しない真面目な人はトレーディングゲームにだけ誘ってその次のイベントに誘った。

 真面目な勉強会などは最初の1年間は一切しないことに決めていた。そういう色を出してしまうと、船橋達が変えたいと思っている人達は参加しなくなる。1年後に開催した“社会的イベント”というのもフリーマーケットであり、収益金をNPOに寄付していくという程度のものだった。この発想は当たった。LPCは3年間で3000人ものネットワーク型組織になった。そして、最初は遊びにしか興味が無かった人もトレーディングゲームを通じて、そして船橋達が2年目から開催していった政治や社会の勉強に参加するようになり、視野を広げていった。

 船橋はこのLPCを通じて考えるようになった。日本人は優秀でエネルギーがある人ほど社会に対する意識は低いのではないか。彼らを変えることができれば、社会は変わる。そして、さらにもっと前からこの意識を変えていくことができればより社会は変わる。基礎が形成される小・中学校時代にこのトレーディングゲームを導入することができれば、本当に日本は変わるのではないか。

■高まる自信、高まる意識

 3000人の参加者の多くの意識を変えることができた実績は船橋にとって大きな自信となっていた。そして、船橋が意識を変えた3000人の中には船橋自身も含まれていた。

 LPCを始めて3年が経った。船橋は会社の仕事に満足を出来なくなっていた。もっとトレーディングゲームを使って多くの人の意識を変えていきたいと思っていた。むしろ、そうしていくことが自分の使命であるかのように船橋は思っていた。 丁度その頃、新聞やテレビでは『総合学習』という言葉が盛んに繰り返されていた。船橋は心の中で『教育』という言葉を意識するようになっていた。そして、トレーディングゲームを学校に対して導入していくことができれば、社会的にも価値があるし事業としても成功するのではないか。そのように船橋は考えるようになっていた。

 今までは問題意識を持ってもその解決に向かって動くことはあまり無かった。だが、今ではトレーディングゲームという武器を持っていた。船橋は動き出した。今の会社ではこのトレーディングゲームを使っての事業は考えられなかったので、他の企業への転職を考えたのだ。多くの企業を回った。斬新なアイディアを受け入れてくれそうということで、外資系企業に多くアプローチしていった。しかし、どこも前向きに考えてくれるところは無かった。

この時の船橋はまだ迷っていた。そして、受け入れてくれる企業がないと仕事へと逃げた。丁度、会社の方から一週間インドネシアに行ってくれという指令を受けた。「この1週間で色々と考えよう」そう思いながら現地へ飛んだが、この読みは外れた。インドネシアでの船橋の仕事は次から次へと進んでしまい結局6ヶ月間も滞在をすることになってしまったのだ。現地での仕事はそれなりに楽しかった。

しかし、半年間のプロジェクトを終えて日本に帰国すると突如危機感が船橋を襲った。それは、結局は目の前の壁から逃げることができる環境を作っていた自分に対する怒りだったのかもしれないし、様々な価値観を吸収しつつも未だに自分というものが確立していなかった自分に対する焦りだったのかもしれない

■自分を追い込む

「やはり教育だ。トレーディングゲームだ。これしかない」

 こう思った船橋は、まずは逃げられない環境を作ろうと思い、引越しをした。そして、1ヶ月間、朝昼晩毎日一人づつ今までの仲間と会って自分の考えを聞いてもらおうと決意した。結局、相手の都合もあったので2ヶ月かかり船橋は100人の仲間達と話をした。人の意識を変えていく教育をしていきたい。トレーディングゲームというのを学校に導入していきたい。当時、煮詰まっていなかった事業計画書をもとに船橋は熱く語った。

 人に会えば会うほど、船橋は感じていた。「教育」という言葉は誰もが賛同をしてくれるということ。事業計画には否定的であっても熱意だけは伝わり一緒になって考えていってくれること。そして人とのつながり、人からアイディアをもらうことは数値化こそ出来ないがかけがえのない資産であるということ。こうして仲間達よりアイディアを貰いさらに自信をつけた船橋は、この事業計画と共に自らを受け入れてくれる企業を探して転職活動を再開した。今回は対象企業は絞っていた。

「教育事業」ということで船橋の頭に思い浮かんだ企業はソニー、ベネッセ、リクルートであった。船橋は『教育は楽しくやらなくてはいけない』ということをこだわりとして持っていた。そうした意味で一番適していたのはソニーだった。

 「教育を変える事業をやっていきたいんです」 そう語りながら、船橋はソニーの人事担当者に話を始めた。担当の方は興味は持ってくれた。「確かに面白い内容だとは思いますが、これだと何兆円規模のビジネスにはならないですね。もしソニーが新規事業として取り組むのであればそれ位の規模のビジネスでないと無理ですね」

 丁寧にではあるが、断られた。このような中で落ち込んでいる船橋を仲間は励ましてくれた。しかし、船橋にとって必要であったのは励ましではなく叱咤だった。

「頑張っていて偉いよな」といくら言われても、それはその場で一時的に気持ちは楽になってもすぐに厳しい現実が待ち受けていた。一時凌ぎは今までずっとしてきたことだ。船橋には彼を叱ってくれる人が必要であった。そして、その人が現れた時に船橋の人生は大きく左右された

■ウィル・シードの設立

 1999年11月から2000年3月までは会社設立の準備にあてた。やるべきことは2つあった。『誰とやるのか』ということと『会社名』を決めることだった。前者の悩みについて、船橋はある意味幸せだった。船橋には3000人の仲間がいた。その中に自らのパートナーとしての可能性を持つ人物はたくさんいた。

 船橋はパートナーを考える際にこだわりをもっていた。「世の中を変えるのは楽しさと理念だよな。理念については結構持っている仲間はたくさんいるけど、“楽しさ”という要素を正しく理解している仲間はそこまでいないな・・・」 理念に共感してくれる人とはある意味偏った人達だ。そして、そういう人達だけで集まると、より多くの人と交流ができなくなってしまう。一方、人は楽しい事には誰しもが共通して参画してくれる。そして、この楽しさの重要性を理解している人が船橋がパートナーとして求めた人だった。

 一人、頭に思い浮かんだ男がいた。まだ何回かしか会ったことは無い。たまたま友達に紹介された谷口正俊という男だ。自分より優秀かどうかは分からない。だが、ブレーンとして動いてくれる人は後からでも何とでもなる。今自分に大事なのは一緒に時間を共有してくれる仲間であり、一緒に苦しんでくれる仲間だった。そして、その仲間は楽しさという要素を持っている必要があった。考えれば考える程、谷口以外に思い浮かばなくなった。谷口自身も船橋の思いに共感はしており、事業計画としてよりもトレーディングゲームそして船橋の発想に“楽しさ”を感じていた。お互い、迷う要因が無かった。すぐに二人は共に会社を起こすことを約束した。

 次は会社名だ。しかし、こちらもすぐに決まった。船橋と谷口がやりたかったこと。それは『意識改革』だった。様々な価値観、視点があることを気づいてもらうことだった。また自らの役割も全てを変えるのではなく、まずは流れを作ることであり、きっかけとなる種を蒔くことだった。『一人一人の心に意志(WILL)が芽生え、皆が自分らしく生きていけるより良い世の中の実現のために、“きっかけ”“気づき”そして“感動”の種(SEED)を蒔いていきたい』そういう意味をこめて、WILLSEED(ウィル・シード)という企業名はすぐに決まった

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