頑張る人の物語

柴田彰

『柴田彰との出会い』1/5編

柴田彰(しばたあきら)
ACT代表
筋ジストロフィー障害を持つ友人と共に『心のバリアフリー』を訴えてDUET自転車にて日本一周をする。3ヶ月間におよび自転車での日本一周旅行の最中には多くの困難があり、その困難に立ち向かうACTに対して10万人以上の人が応援をした。

■柴田彰との出会い

 2002年11月3日昼過ぎ、横浜ワールドポーターズに日本テレビアナウンサーの声がとどろいた。

「ACTが帰ってきました。7月20日、海の日にここ横浜ワールドポーターズを出発し、107日間の自転車での旅を終えて、ACTが帰ってきました」 その瞬間、集まった多くの人が拍手で“彼ら”を迎え、多くのマスコミのカメラがフラッシュをたいた。多くの人が“彼ら”の勇姿を称え、また無事の帰還を祝っていた。“彼ら”(正確に言うと“彼・彼女ら”)が何者であり、何故多くの人が賞賛しているのかを説明することは簡単だが、ここは敢えて時系列を追って“彼ら”が何者かを説明していきたい。

  2001年、まだ夏の暑さが嫌にならない程度の気温、気候であった6月のある日、知人の武井誠氏より「紹介したい人がいる」という連絡をもらった。武井氏は『音楽を楽しむのに耳の障害は関係ない』というコンセプトのもと、耳に障害を持つ聾者に対してバイブレーダーでの振動によるライブを企画するバンド『こころおと』のリーダーで、手話の指導なども精力的に行っている。 僕は学生・NGO/NPOなどの夢の実現を支援するNGO-terminalという団体を2000年12月に設立したのだが、その設立以来、定期的に連絡をくれていた人だった。武井氏から連絡があって、6月のある日に渋谷のカフェで“彼ら”の代表である柴田彰と会うことになった。

 今ではNGO-terminalはじめ様々な活動を通じて、数千人の起業家、NPO代表、アーティスト、スポーツ選手など何らか自らの夢の実現のために活動をしていこうとする人と会ってきた。当時でも数百人の活動的な人たちと交流をしてきた。ある程度は“口だけじゃない人”かどうかを見極める目は持っていたと思っている。「少し不安だな・・・」と思えてしまう人は、スポンサー企業を紹介しても、活動を途中であきらめてしまい、協賛金を返却することになったり、実行はしても中途半端な形で終わってしまう。そういうこともいくつかあった。

 でも柴田彰と出会ったとき、根拠はないがかれは絶対に言ったことは実現させるなという確信が僕の中で生じていた。

■多くの人に徹を知ってもらいたい!!

 「小田さん、僕の友達に石川徹っていうのがいるんですよ」柴田は彼がやろうとしている事を説明し始めた。

 「実は徹は筋ジストロフィーっていう病気なんですよ。段々と筋肉が収縮していってしまうという。でも実際に俺があいつと一緒に生活している中で結局全然変わらないんっすよね。普通に面白い所は笑うし、悲しいときは泣くし、エロ本だって読むし・・・。それなのに普通の人はもちろん、いわゆる障害者支援系の団体も彼らを“障害者”という枠にあてはめてしか見ないんですよ」要するに、彼の友人である石川徹をはじめ多くの障害者は実は健常者とほとんど変わりない。でもその事実を多くの人が知らなさすぎる。それは障害者支援の活動をしているNPOや行政においても同じことに問題意識を持っていた。

 「でもこういうの伝えたくっても、イベントやっても人あまり来ないし、来る人も結構偏った人になっちゃうし・・・。何かいい案ないですかね?」柴田は僕の目を見つめながら、このようなことを言った。 その後、“いい案”が出るまでどういう過程を経たのか確かには覚えていない。ただ、一つ言えることは“彼ら”つまり柴田たちは日本を一周することになった。それもDUET自転車という車イスと自転車を連結させた二人乗りの自転車で。

 障害者が実は健常者と変わらないということを伝えるには、実際に一緒なんだという事を身をもって示さなければならない。また、“示す”といってもイベントなどをやっても偏った人しか来ないので、それならこちらから行けばいいのではないか・・・。 こういう短絡といえば短絡、わかりやすいといえばわかりやすい論理に従って、“彼ら”は団体名をACTとし、活動をすることになった。

 結局は2003年7月20日に横浜ワールドポーターズを出発し、107日間かけて11月3日に同場所へDUET自転車で戻ってくるという旅となったわけだが、この活動が実現するには、その準備段階、そして旅の途中に大きな困難があった。

■何にもない

 「人も知らない、メンバーもいない、名前も決まっていない・・・最初はそうでしたからね」 ACT(正確にはまだ名前も決まっていなかったが)をスタートさせたときのことを振り返って柴田は言う。一番最初に柴田が作成したACTの活動計画書はたった以下の3文だった。

 『 日本一周したい  石川徹と3ヶ月くらいかな 』 もちろん、どのようにして協賛金を集めるか、どのように人を動かしていくか、どのようにして日本一周をするかを考えるノウハウも一切なかった。

 しかし、柴田の決意は固かった。必ずこの企画を実現させてやろうと思っていた。

■徹との出会い

 そもそも、柴田と石川の出会いは偶然だった。柴田が大学に入ったとき、最初はある体育会系の部活に仮入部した。しかし、その部活の活動にあまり魅力を感じなかった柴田は4月の間にやめてしまう。だが、大学も5月になると、どこの部活もサークルも入れる所がなくなっていた。「大学に入って部活もサークルもやらないなんて・・・」と悲観にくれていたとき、友達が柴田に言った。

 「柴田さ、部活どこも入ってなかったよな?俺が一つサークルに入れといてやったよ」 その友達が柴田に無断であるサークルの加入手続きをしてくれていたのだ。勝手な行為に感謝すべきか迷惑だと言うべきなのか複雑な心境のまま、何のサークルかもわからない状態でその友人に手をひかれてその教室に入った。

 教室に入るとすぐ、柴田の目に『歓迎 柴田彰』という黒板に大きく書かれた文字が入ってきた。そして、その横に手話サークルという文字が書かれていた。そういえば、柴田の入部を祝う中には車椅子の人もいる。そう思いながらも、今まで手話などとは縁がなかったので特別な興味はひかれなかった。もちろん、サークルにはあまり顔を出さなかった。

 2000年の夏、サッカー日本代表の試合が行われた。柴田はサッカーが好きだった。高校まではずっとサッカーをしていた。高校3年生のとき、地区予選で柴田がPKをはずしてチームは負けてしまう。結局これが引退試合となったのだが、そのときのくやしさが忘れられず、大学に入ってサッカー部に入ることはやめようと考えていた。しかし、サッカー熱はもちろん残っている。

 あるときサッカーの話を友達としていたら、その友達が言った。「そういえば、石川徹もサッカーの『日本代表』らしいよ」 「へ~そうなんだ」と答えつつ、「石川徹って誰だったけ?」と考えていた。そういえば、いた。“同じ”手話サークルのメンバーで車椅子に乗っていたヤツがいた。話を聞いてみると、車椅子サッカーというものがあるらしく、その日本代表なのだそうだ。

 ある日、大学の授業が早く終わり少し時間ができた。いつも一緒に帰っている友達は今日はバイトだとかでいない。久しぶりにサークルにでも顔を出すかと思い、部室に向かう途中、柴田は石川に会った。「サッカー好きなんだって?」 ほかに話すこともなく、柴田は石川に問いかけた。石川は嬉しそうな顔をした。その日、柴田と石川はサークルに行かず、二人でいろいろな話をした。石川はサッカーに詳しかった。日本の選手の名前はもちろん知っていたし、柴田が知らないような外国の選手の名前も知っていた。車椅子サッカーのことも教えてくれた。しばらくしてからではあったが、石川の病気のことも教えてくれた。
 
  石川は筋ジストロフィーという病気だそうだ。筋ジストロフィー。筋肉が収縮し、その機能を失っていく病気を総称して筋ジストロフィーという。代表的なのがデュシェンヌ型であり、石川もこの型だ。ジストロフィンというたんぱく質がないため膜が破れやすくなり、筋繊維が壊れていくと考えられている。命にも関わる病気だ。

 柴田は石川と長いことサッカーの話をした。それは、いつも友達と話をしているときとまったく同じような話題になり、同じような興奮があった。柴田は一人の友達として石川と接することができていた。

■車椅子乗ってるからって調子にのんな!

 石川と仲良くなったおかげで、柴田は手話サークルのほうにも参加しはじめた。石川と過ごす時間も徐々に増えてきた。柴田は普通に石川と接していた。しかし、石川と一緒にいる中でだんだん周りの声が気になるようになった。

 みんなで飲みに行ったときも「徹には飲ませないで」とか 「もう徹は帰った方がいい」とか石川のことをみんなが気遣うのだ。もちろん、体調が優れないのはわかっている。しかし、何か友達と石川の間に微妙な距離があるように柴田は感じていた。

 ある日、柴田と石川は喧嘩をした。些細なことだった。石川がはっきりと物を言わないことに柴田が腹を立てたのだ。「徹、お前はっきりしろよ!いくら車椅子乗ってるからって調子のんなよ。お前甘えすぎなんだよ!!」普段、友達と喧嘩する口調で柴田は石川を怒った。石川は悲しそうな顔をした。帰り道、電車の中で柴田は石川に携帯でメールを打った。「ごめん、さっきは怒りすぎたかな?」

 しばらくして、柴田の携帯にメールが届いた。石川からのメールだった。「今までこんなふうに怒ってくれた人いなかった。ありがとう」 石川の周りには素敵な人たちがいた。みんなが石川のことを大切にし、愛していた。しかし、そんな周囲の人たちも石川を一人の障害を持つ人として見てしまっていたのだ。しかし、柴田はそんなふうに思ってもいなかった。柴田にとって、石川は一人の友達に過ぎなかった。柴田は言う。「はじめ、サッカーの話で入れましたからね。やっぱ同じ趣味があったことが大きかったんでしょうかね。」

 柴田と石川はそれからさらに仲良くなった。飲みにも行ったし、一緒に旅行にも行った。飲みの席でもまったく普通の友達として接した。一緒に旅行したときも車椅子にふざけてのって、ほかの宿泊客の部屋のドアにどんどんとぶつかったりして、たくさんの客が二人の部屋に怒りにきた。石川も柴田と同じように怒られた。このとき、石川は一人の人間として怒られていた。このような経験がさらに二人の信頼の輪を厚くした。

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