頑張る人の物語

柴田彰

『柴田彰との出会い』2/5編

■障害者への世間の目

 あるとき、柴田は石川の立場で社会を見てみたいと思った。車椅子を借りてきて、柴田がその上に座った。友達に頼み、車椅子を押してもらい、新宿の都庁まで行こうと思った。他人から見られている感じがすごくした。みんなが気を遣ってくれる。

 どこへ行っても「ありがとう」と言ってしまう。電車を乗るときも駅員の手を借りる。降りる駅では事前に連絡を受けた駅員が待機してくれている。そこでも「ありがとう」と言いながら電車から降りる。柴田は非常に気疲れをした。そして、思った。「徹はいつもこんな経験をしているのか・・・」夏になり、柴田は石川とさまざまな所に遊びに行った。柴田と一緒であれば石川も今まであまり行けなかった所に行ける。二人は海に行った。川に行った。しかし、どこへいっても周りの人が「車椅子だと危ないからやめておきな」と言ってきた。身を心配してくれるのはわかる。しかし、彼らは石川の限界を勝手に作ってしまうのだ。

 柴田に対して「これは違う!!」と思わせた決定的な言葉があった。ある日、同じように石川の車椅子を押して買い物をしていたときだった。「お兄ちゃん、若いのにボランティア?偉いね~」 衝撃的だった。

 何かひっかかるものを心に残しながら、柴田と石川は買い物を続けた。

■絶対に日本を一周してみせる!

 2001年5月。柴田と石川は教室で二人きりだった。二人が会ってからちょうど一年が経った。お互いに大学二年生になっていた。二人は一年前のことを思い出して話をしていた。

 「一年前会ったときさ、何かうちらの間になかった?」 「え、そうだっけ?」「うん、何か俺も気遣ってなかったかなと思って。いや、人と人ってやっぱり気遣うよ。でもそれ以上に気遣ってたかなって」 「いや、柴田にかぎってはそんなことなかったよ」「そっか。でも何かみんな徹に気遣ってるよな。お前全然普通なのにな」 三分間の沈黙の後、柴田は石川を見つめて言った。

 「何やる?」 沈黙の間、二人の中で何かをやりたいという気持ちが生じていた。いや、今までも何かしたいという思いは蓄積されていた。それが溢れ出ただけだったのかもしれない。

 最初はイベントをやろうかという話にもなった。しかし、それでは人が来ないだろうし、あまり面白くない。そこで何をするか・・・。二週間ほど考えた。この間、柴田と僕は出会うことになる。そして、二週間後、日本一周をすることが決まっていた。 柴田の意思は固かった。やろうと思ったら絶対にやりとげたいと思っていた。

 だが、一緒にやろうと友達に声をかけても、周りにいた社会人に協力してくれとお願いしても、みんな絶対できっこないと口を揃えて言った。考えるだけでは何も始まらないと痛感し、とにかく自分だけでも動いていこうと柴田は決意することになる。

■とにかく動く、だからACT

 当時、僕が商品プロモーションやマーケティング面で一緒に動いていた広告代理店があり、そこにも柴田を紹介した。柴田のような活動であれば、おそらくメディアも多く掲載するだろうから、そこのスポンサーになることは広告効果としても高いと踏んだからだ。

 その広告代理店とは今までもいくつも、イベントやプロジェクトを広告媒体と位置づけてのプロモーション展開などを実施してきた。しかし、ACTの場合は確固たる計画が立っていなかったし、そもそも本当に筋ジストロフィーをもつ石川と三ヵ月もの自転車の旅が成立するのかという所で結局、話としては成立しなかった。しかし、柴田はこのような失敗には慣れていた。むしろ、このようなACTの成功を懐疑する意見、考えこそがACTを実現させた要因となったとも言えるのかもしれない。「ほんと友達はじめとしてみんなが『ムリだ』『やめとけよ』と言ってきました。日本一周なんて自転車で、しかも徹となんてできるわけないっていうんですよね。でもそんなこと言われれば言われるほど、よし見てろよって(笑)。

 でも思うんですけどね、結局彼らって応援してるからああいうことを言ってくれてるんでしょうね。だって、どうでもいい人はそんなこと言ってきさえもしませんよ。俺だってどうでもいい人に対していちいちムリだなんて言いませんもん。」こうした柴田の性格もあってか、徐々にACTにはメンバーが集まってくる。しかし、物事が順調に行かないときに人のモチベーションを維持させるのは極めて大変なことだ。2001年10月位には15人以上がACTのメンバーとして活動をするようになる。実質的にスタートするのが翌年7月なので10ヶ月近くも期間がある。この間、メンバーそして柴田自身がモチベーションを保っていくのは予想以上に大変だった。

 「先が見えないし、協賛金も集まらないし、実際自分自身もモチベーションが下がりましたよ。でもそんなときはとにかく“人に言いまくる”。『俺、今度日本一周するんだ~』『徹って奴がいて、筋ジストロフィーなんだけど全然一緒なんだぜ』みたいに。こうやって自分自身をあとに引けないようにしちゃえば、もうやるしかないってなりますよね(笑)」

 ACTのメンバーは柴田はじめみんな明るい。そして、思ったことはすぐ行動に移す。それこそがACT(行動する)という名の由縁であり、最高の武器だった。

■ACTのやり方

2002年5月に、僕はリクルート社の協力のもと、学生団体を企画の社会性、企画立案力・行動力、メンバー間での意思の共有度合いなどを評価し、優れている団体に20万円の協賛金を提供するという企画コンペティションを開催した。

 多くの団体が参加し、もちろんACTも参加した。参加した団体はいずれもが素晴らしいものだった。活動の内容としても面白かった。また、パワーポイントを駆使してプレゼンテーションを行う姿は社会人顔負けという団体もいくつかあった。 ACTのプレゼンテーションの番になった。ほかの団体はプレゼンテーターが2人ほど前に出てくるのが普通だったが、ACTのときは会場に応援に来た10人位のメンバー全員が前に立った。車椅子に乗っている人が2人混じっている。プロジェクターなどを使う様子は一切ない。

みんなが何をするのか、期待をしながらその第一声を待っていた。「ヤーーーーーーーーーーーー!!ACTで~~~~す」柴田の声が会場に響いた。会場は一瞬静まり返った。そしてその直後、会場にいた人が一斉に吹き出した。

 時間を少し戻す。この企画コンペティションに参加するにあたっての会議がACTメンバーの間で開かれた。当時、まだ協賛金などは集まっていなかった。20万円という賞金は喉から手が出るほど欲しかった。基本的に参加団体はパワーポイントを使ってプレゼンテーション用資料を作ることはわかっていた。実は僕はこの企画コンペティションを主催しながら、ACTがしっかりとしたプレゼンテーション資料を作ったら優勝するなと思っていた。審査基準なども主催者である僕が作成したが、それと照らし合わせてもほかの申込み団体と比べて優れている点が多かった。当日の発表に僕は期待していた。

 ACTのメンバーたちは打合せを続ける。「ちゃんとした資料を作って臨もう」という意見が最初は大勢だった。しかし、パワーポイントでプレゼンテーション資料を作って発表するというのは何かACTらしくない。みんなそう思いはじめていた。何かもっと心で伝えられないか。とはいえ、障害者のためにやっていて素晴らしいなどという見え方はされたくない。ACTメンバーが出した答えは一つだった。『笑わせたら勝ちだ!』

 事前の打合せでは、メンバーみんなが前に出て、まずはダチョウ倶楽部のように「ヤー!」とやろうということになった。とにかくここで笑わせる。そういう結論になった。当日、柴田の声が響いた。そして、ほかのメンバーは少しタイミングを逃してしまった。柴田の声、そしてほかのメンバーのズレに会場は一瞬静まり返り、そして吹き出したのだった。

■これがACTのやりたいこと

 笑いが静まり返ったあと、柴田は少し真面目な顔で会場にいるほかの発表者に突然問いかけた。「障害者って聞いて何を感じますか?」会場がまたシーンとした。今度はみんな、真剣に考えている。しかし、誰も答えを言い出さなかった。柴田は石川との関係や今まで体験してきたことを面白おかしく伝えた。石川が全然普通の友達と変わらないことを。しかし、普通に接していても周りからはそうは思われないことを。

 柴田は続けた。「今日ここに来て、俺たちが欲しいのはお金じゃありません。今ここに来て皆さんに話を聞いてもらえただけで価値があるんです。徹とかが面白いヤツだってわかってくれだだけで価値があるんです。今日のこのこと、これが俺たちACTのやりたいことなんです」

 会場が拍手に包まれた。ACTの『心のバリアフリー』は日本一周をはじめた7月20日に始まったのではない。この日、ACTの活動はすでに行われていた。いや、ACTはその企画が始まった段階から『心のバリアフリー』を始めていたのだろう。柴田たちに会った人たちの多くが、障害者に対して持つ認識が変わっていったのだ。

 結局、優勝はGEILという政策プランコンテストを毎年開催している団体になった。今までの実績とそれを活かしての今後の活動の可能性に高い期待が感じられたからだ。しかし、審査にあたったリクナビ編集長冨塚氏の計らいで急遽特別賞が作られることになり、ACTには特別賞として1万円が寄付されることになった。日本一周をしていて、どうしてもお金に困ったときに使って欲しいという意味を込めての1万円だった。ACTにとっては優勝賞金の20万円よりも大きな金額になったかもしれない。

 終了後、柴田は僕に話しかけてきた。「小田さん、あれで良かったですか?」 僕の期待は完全に裏切られた。もちろん、いいほうに。

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