頑張る人の物語

柴田彰

『柴田彰との出会い』3/5編

■ACTの協力者(1)

 このように、ACTは多くの人に準備期間から感動と笑いを与えていった。そして、その思いが伝わったのか徐々に多くの人が協力をしてくれるようになる。

 最初の協力者は横浜市社会福祉協議会の鈴木紀雄氏だった。鈴木氏と柴田の出会いも偶然なものだった。柴田が大学1年のとき、石川の気持ちを味わおうとして車椅子に乗って新宿都庁に行こうとしたことは述べた。そのときのことだ。JR根岸線の新杉田駅で柴田は鈴木氏に声をかけられた。「何?体験?」

 鈴木氏は車椅子生活をする人たちを支える活動をしている。柴田が車椅子の体験生活をしていることが一目でわかったそうだ。少し二人は話をした。柴田は石川のことや自分の考えを話した。すると、鈴木氏は名刺を柴田に渡してくれた。『横浜市社会福祉協議会 常務理事』とそこには書かれていた。柴田にとって、人生初の名刺だった。 新宿都庁に行った後、柴田はこの名刺に書かれた住所にその足で向かった。何か用事があるというわけではない。なんとなく足が向いたのだ。鈴木氏は朝に会った青年が訪れたことに驚いたが、優しく迎え入れてくれた。そして二人はまた少し話をした。このとき、まだACTという団体は発足していない。

 ACTが発足し、柴田が鈴木氏に連絡をしたのは会ってから一年弱経っていた。その後、特に連絡は取り合っていなかった。しかし電話をすると、鈴木氏は柴田のことを覚えていてくれてすぐに会ってくれた。最初は企画が固まっていないので、鈴木氏も何ともしようがなかったが、企画書を作成して何回か話をしていく中で柴田の思いも伝わった。 「若者が蒔く種の芽を大人がつぶすのはやめようじゃないか。むしろ、育てていこう。失敗したっていいじゃないか」

 鈴木氏はそういって福祉協議会を説得してくれたらしい。こうして、横浜市社会福祉協議会はACTの後援をしてくれることとなる。

■ACTの協力者(2)

 そのほか、JAKEという会社の坪田氏、梅沢氏の協力も大きなものとなった。知人経由でACTの活動を知った両氏は柴田の話を聞き、非常に共感を覚えた。その後、さまざまな準備の助けをしてくれ、日本一周中はACTの事務局までつとめてくれた。

 柴田がこの二人に最も感謝していること。それは柴田たちを本気で怒ってくれ、一緒に企画を考えてくれたことだという。ほかの人はそうはいっても「いいことをしているね」と言ってくれた。何かミスをしても学生だからとか社会的にいいことをしているからといってミスをカバーしてくれた。しかし、この二人は柴田たちが甘えたりするときにはいつも厳しく接した。

 日本一周をしているときだった。ACTは全国各地で多くの人から食料や寝所の提供を受けた。旅半ばのある時期、徐々にそうした人たちへの感謝の気持ちが薄れていった。恵んで貰えるのが当たり前とも思うようになってしまった時期があった。場所は四国。毎日電話で状況報告をしていた坪田氏たちがACTの微妙な空気を察して飛行機で駆けつけてきた。

 「お前ら、何のために日本一周してるんだ?気持ちが違うんじゃないか?」そう言って、二人はまた飛行機に乗って東京に帰っていった。わざわざ柴田たちを叱りに東京から来てくれたのだ。その言葉、二人の行動に柴田たちは大いに反省をした。柴田はこのときの二人ほどかっこよく見えた人は今までにいないと語っている。 この二人はハーバライフ・オブ・ジャパンという会社も紹介してくれた。

ここはACTを資金面で協力してくれるだけでなく、全面的なサポートをしてくれた。 ハーバライフ・オブ・ジャパンはサプリメントなど健康食品を販売している会社で、そのお客に対してFAXや郵便でACTの情報を流してくれた。ACTの日本一周のコースと日程を送り、よければ協力してやって欲しいという旨を伝えてくれた。実際にこのおかげでACTは日本一周の間に多くの人から励まされることになる。

 このように、徐々にACTへの協力者は集まり、何とかスタートをしていけるようにはなった。しかし、107日間の旅日程の中で宿泊場所は20日分程度しか決まっておらず、資金も十分にあるわけではない。それでも何とかなると思っていたし、何とかしなきゃと思っていた。

■警察からの警告

 しかし、準備期間の困難はまだ待ち受けていた。7月19日、出発の前日である。柴田は神奈川県警より呼び出された。「県警本部まで来て欲しい」夜の20時のことだった。

 柴田が一人で神奈川県警に行くと、20人位の県警幹部が柴田を囲んだ。「二人乗りの自転車で走るそうだね?」 県警幹部の一人が柴田に尋ねた。厳しい口調ではなかったという。しかし、ある種の不安感を柴田は感じていた。柴田は肯きながら、ACTの思いや活動概要を話しはじめた。この数日前に警視庁のほうにある人が「二人乗りの自転車で走っていいのか」という問合せをしたようだ。それで警視庁から各県警に通達がいった。警視庁からの通達に神奈川県警は焦っていた。
 
  調べてみると、警視庁からの通達できたACTという団体は所轄内の桜木町ワールドポーターズを出発点にしていることがわかったからだ。現行法では二人乗りの自転車は認められていない。公道を走っては行けないのだ。最初、柴田は多少当惑した。しかし、ここに来てやめるわけには行かない。最悪の場合、強行決行をしようと考えつつも、彼がやりたいこと、考えを再度説明した。県警幹部の人たちもその姿に心を打たれた。

 「個人として、私は応援していきたい」ある県警幹部が言った。それに続き、その場にいる人たちがみんな、目の前にいる青年を応援していこうということになった。ちょうど、同じくらいの年齢の息子がいるとのことだった。放ってはおけなかった。県警幹部の人たちはそのあと一時間位して、道路の使用許可さえとれば二人乗り自転車でも走れることを確認してくれた。 時間は夜の23時。もちろん一般的には業務時間外だったが、すぐに使用許可を発行するよう手続きしてくれ、30分後には柴田は神奈川県の二人乗り自転車走行許可を得ることになる。

 心強い応援を最後にして得ながら、柴田は家に帰り翌日の準備をした。

■日本一周の始まり

 2002年7月20日、石川徹がナビゲートを行い柴田彰が自転車をこぐ、そしてほかのメンバーが別の自転車で同伴するという形でACTは旅をスタートすることになった。

 スタートして少ししてから実感が出てきた。やっとここまできたのだ。これから日本一周をするのだという期待。そして石川がこの旅の途中に具合が悪くなり死んでしまったらどうしようという不安。そうしたものが入り混じっていた。しかし、やってみなければわからない。すぐに柴田はそう思うようになった。「でも実は楽しかったのはスタートして1週間目まででしたね(笑)。やっぱり3ヶ月も一緒にいると人のいい面だけでなく悪い面まで見えてきちゃう。結構メンバー間で喧嘩とかもしましたよ。しかも殴り合いの喧嘩まで(笑)」

 「ただ・・・」 柴田は旅を思い出して語る

 「自分の弱い所をみせられるってかっこいいですよね。ACTをする前までは何か弱い所をみせるのってかっこ悪かったんですけど、ACTをして、旅をして弱くていいんだよって思えるようになりましたよね。やっぱ弱いからみんなが助けてくれるし、弱いとこみせ合うとみんな仲良くなれるし。っていうかこんな自分かっこよくないですか(笑)?」

 柴田は石川以外の多くの仲間がいたからこの日本一周が出来たと語る。準備期間1年弱の中でACTのメンバーのことを良く知っていたつもりだった。しかし、旅をしてその人の弱い所がすべて見えてきたという。最初はそれに違和感を感じたが、すぐに気づいた。人は弱い所があって当たり前。何でもできる人なんているわけがないじゃないかと。その弱さも個性の一つなんだなと思えるようになったとき、柴田はメンバーをさらに好きになれた。

 それでも旅は順調だった。多くの人が声をかけてくれる。色々と食べ物を分けてくれる人もいた。多くの人に感謝をしながら、そして多くの人に笑いと感動を届けながらACTは日本一周を続けた。

■徹の異変

 8月10日、スタートしてから22日目のことだった。ある事件が起こった。事件は今までにも起きていたが、今回の事件はとりわけ大きなものだった。石川が入院をしたのだ。

 その日、泊まる場所はなく野宿が決定していた。夜、テントを張ってACTメンバーは二手に分かれた。夕食を食べにいくチームと荷物番兼公園の水道をシャワー代わりにして体を洗うチームだった。石川は前者、柴田は後者のチームだった。体を洗い終え、テントの中でくつろいでいたときだ。柴田の携帯が鳴った。

 「徹がおかしい」メンバーからの電話だった。急いで石川のもとに向かうと、夕食を食べられないで苦しんでいる石川がいた。思い当たる節は二つあった。その二日前、8月8日に兵庫県は宍栗郡において石川はキャニオニングに挑戦した。キャニオニングとは簡単に言えば川下りのことだ。筋ジストロフィーでこのキャニオニングに挑戦する人は初めてだ、もしかしたら世界初かもしれない。そう地元の人は言っていた。石川はとても楽しそうだった。

 また、数日前から自転車だけの旅に飽き、徒歩で移動してみることにした。もちろん、石川は車椅子だ。しかし、ペースの違いに多少気を遣ってしまっていたようだった。いずれにせよ、石川は具合が悪そうだった。テントや必要物資の搬送に使っていたACT号というバンがあった。柴田がこれを運転し、石川を乗せて近くの病院までいった。赤穂市民病院という所だった。

 病院へ向かう途中、最初は石川は冗談を言えるほどの活力はあった。しかし、次第に話もできなくなり、車椅子の上の自分の体も支えられないほどになった。車内から携帯で石川の病状を伝えていたこともあり、すぐに石川は処置室に入れられた。心電図やレントゲン、その他さまざまな検査がすぐに行われた。また、箱根にいる石川の主治医とも連絡をしあった。

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