頑張る人の物語

柴田彰

『柴田彰との出会い』4/5編

■診察室の前で

 「今夜がヤマですね」 当直の先生が言った。柴田たちは頭の中が真っ白になった。恐れていた最悪のケースが発生したのだ。そのとき、ここの呼吸器科の塩田医師が駆けつけてきた。塩田医師は箱根にいる石川の主治医と電話で話をした。

 石川の主治医は主張した。切開して人口呼吸器をいれなくてはいけないと。しかし、仮に人口呼吸器をいれてしまうと、その後石川はベッド生活をしいられることになる。もちろん、日本一周なんてできなくなる。石川の健康が第一であるのは当然だ。しかし、柴田たちはほかに何かできないのか、そう考えていた。塩田医師は柴田たちから話を聞き、ACTのことを知った。その活動理念そして彼らの行動に共感を抱いた。医師としてはもちろん患者の体を救うことを第一義に考えるべきだ。しかし、同時に今目の前で苦しんでいる患者の意思を削ぐことはやりたくない。塩田は柴田に向かっていった。

 「僕に任せてくれ。人口呼吸器をしなくても、徹君が回復するように努力してみるよ」柴田は塩田医師を信じることにした。

 その後、塩田医師がどういう処置をしたかはわからない。しかし、奇跡的に石川の体調は回復した。ぐったりしていて舌をしまうことさえもできなくなっていた石川は、翌日には会話ができるぐらいにまで回復した。このときのことを石川、石川の家族、主治医は言う。石川は日本一周をしたいという夢があった。一緒に日本一周してくれる仲間がいた。だから回復したのでしょう、と。

 本当に医学的にはありえない回復だったそうだ。

■徹がいない日本一周

 石川は回復した。だが、日本一周をすぐには続けられないのは当然だった。医者もさすがに二週間は入院をしたほうがいいと言った。その二週間をどうするか、柴田たちは話し合った。

 ACTは石川と一緒に日本一周することに意味があった。もちろん、柴田たちはしばらくここに滞在して、石川の回復を待つことを選んだ。しかし、石川が否定した。石川は柴田たちに先に行くことを希望した。そして、あとで合流すると約束したのだ。ここで待機をしたら逆に石川に気を遣わせてしまう。また、石川が希望するのであればということで柴田たちは石川抜きでACTを再開させることになる。

 「早く戻ってこいよ~」 病院が見えなくなるまで何回も振り返って柴田たちは叫んだ。そして、そのまま数日間柴田たちは道を走った。 石川抜きでのDUET自転車。普段石川はナビゲーションをするとはいっても実質的には何もしていない。ほかのメンバーで道がわかるから旅をする上で石川には役割は特になかった。しかし、そんな石川でも柴田に冗談は言った。その石川が今はいない。何か空虚な思いを募らせたまま、柴田たちは自転車を漕いでいた。

 「普通のことってホント大切ですよね。徹がいなくなってから、そしてこの日本一周をしてつくづく思いますよ。本当にごく当たり前のことができなくなると、普通に生活できていることの良さって見えてきますよ」

 柴田はこのときのこと、日本一周のときのことを振り返って言う。

■こんなのACTじゃない!!

 空虚な感じがしていたのはもちろん柴田だけでない。ほかのメンバーもそうだった。いつもは県をまたぐとき、その日の目的地に無事到達したとき、みんな一体となって喜んでいた。しかし、石川がいなくなると何か達成感がなかった。再出発の希望は石川のものだった。しかし、何かが違っていた。

 もうあとには戻れない。どことなくみんなが感じてはいた。しかし、何かみんなの間に微妙な空気が流れ、些細なことで喧嘩もした。みんな自分勝手になっていった。ACTは日本一周をスタートした時以来はじめてバラバラになってしまった。

 「このままACTやっていて意味はあるのだろうか?」 8月22日の夜、柴田は考えていた。場所は宮崎県東臼杵郡。ACTがここの駅の道でテントを張って夜を過ごした。柴田はこの日眠れなかった。いろいろと考えごとをしていた。それは、石川と会ってからの日々のことでもあった。ACTをやろうと思い立った日々のことでもあった。一晩中考え、柴田の決意は固まった。

 23日の朝、柴田はみんなを集めて言った。「俺さ、徹に会いたいんだけど」7,8人のメンバーが黙って柴田を見た。みんなも薄々と感じていた。何か違うと思っていたのは石川がいないためであり、このままだと何のために日本一周しているのかがわからない。そんなメンバーの顔をみながら、柴田は続けた。

 「俺は会いに戻りたい。このまま日本一周しても上っ面だけの日本一周になっちゃう。そんなことに意味はないと思う」みんな考えていた。柴田はまた続ける。「俺は一人でも戻る。みんなが反対しても。どう思う?少し考えてくれ」

■僕もみんなと走りたいんです

 フェリーの甲版でも一人一人が考えごとをしていた。柴田も考えていた。石川に会えることへの期待。そしてこの判断が適切であったかという自問自答。少し考えた中、この自問に対する自答は固まった。もちろんYesだった。

 石川は元気だった。体調はもう回復していた。しかし、またこのようなことが起きては一大事だ。念のためということで箱根の主治医に看てもらおうということになった。柴田は石川と共に二人で一時箱根へと戻ることにした。ほかのメンバーは元いた場所へと戻ってもらった。そこで少し待機をしてもらうようお願いした。みんなは快く承諾してくれた。このとき、ハーバライフ・オブ・ジャパンよりの手紙でACTのことを知った人が空いていた民家を利用させてくれた。この人の懇意で一週間、ACTメンバーは柴田たちの帰りを待つことができたのだ。

 さて、石川と柴田である。石川の主治医は奇跡的な回復に驚きつつも言った。「一ヵ月は休みなさい。今回は奇跡的に治ったかもしれないけど、もう次は絶対にないからね」石川は残念そうな顔をして診療室から出てきた。一ヵ月も休むとなると、日本一周は終わってしまう。「いやだ」強く石川は思った。すぐに石川は診療室に戻った。

 「先生、僕は一日でも早くACTに復帰したいんです。みんなと会いたいんです」もともと、あまりしゃべるのが得意ではない。その石川が必死になって訴えた。これには主治医も驚かされた。主治医は言った。「私は医者としては一ヵ月間休むように徹君に言いたい。しかし、あとは徹君の問題だ。君の人生なのだから、君が判断しなさい。」

 この判断が医師として適切だったかどうか。医療関係の多くの方は言いたいことも多々あるかもしれない。しかし、ACTの活動を知っていればこれ以上適切な判断はなかったとみんなが自信を持って言うだろう。2,3日後、柴田と石川はメンバーに合流した。みんなが喜び、ここからまたACTが再開された。

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